生きる。 ちょっと難しいことと暮らす。

Filed under 30歳の作品, コミュニケーション, セナ日記|ゆるくずっとの考え事, セナ日記|人との関わり合いで思ったこと, セナ日記|今こんな感じですよ系, セナ日記|写真詩, セナ日記|自己分析, 人生論




倫理的な立場からも、本能的な立場からも、余程の苦痛に追い込まれていなければ、
「生きる」というのは、人があらゆる選択肢と向きあう上での大前提になるのだと思う。
そしてそれは、「その上でも生きなくちゃいけないから、人は生きるために必要な変化にも対応しようとする」という事象につながる。


で、結論を先に言う。
「人は、その人にとって相応しい ” ちょっと難しいこと ” と暮らすべきなのではないか?」 と、
最近思うわけです。


つまり、「こうあるべきだ」と考えたり、それを他人にも押し付けたり求めたりするのは勝手だけれど、
人にはそれぞれの現在地みたいなものがあって、その現在地なりのちょっと難しい課題と向き合い、
時間やその人なりの努力を重ねていく中で、少しずつ前に進んでいく。
それが重要というか、それが全てなんじゃないかなーと。


————————————————————————————————————-


祖父の介護をしていた時に思ったのだけれど、人って90歳を超えてもまだ成長していたりする。
老いて思うように動けなくなった自分。死や物事が解らなくなること、社会から必要とされなくなることへの恐怖。
それと戦う爺ちゃんの姿は僕にいろいろなことを教えてくれたし、覚えてないだろうけどいっぱい言葉を交わした。

自分だって、もしも大きな病気を患えば、明日の命をつなぐことや、
週に1回わずか3時間のペースででも社会と関わっていくことそのものが大きな目標になるのだと思う。
その上で、今はお陰様で健常な立場で、30歳、ローンと家族持ちなりのちょっと難しいことに挑み続けている。

挨拶の重要さ、食べることの重要さ、抱きしめた時に伝わる体温、それすら教えて貰えない幼少期を過ごした人は、
人の役に立つことの喜びや、誰かに必要とされることの暖かさとか、そういうものと向き合うことが
今まさにちょうど挑むべき ” ちょっと難しいこと ” だったりする場合があるかもしれない。

どんな人であっても、明日の命をつなぎ生きることは大前提なわけで、
その上で世界には本当に色々な人がいて、もう想像もつかないような本当に人それぞれの人生がある。
右をみても、左をみても、上をみても、下をみてもきりがない。
大切なのは、その人自身に必要なちょっと難しいこと。
本当の意味では、本人以外の誰にも口出しはできないし、口を出す人がいた所で責任を取ってくれるわけでもない。
その人自身が明日も生きること。現状より少しでも良い未来に向けて歩むこと。ザッツオールなのだと最近思う。


————————————————————————————————————-


ということで、良い意味で割り切って、厳しい意味で絶対に妥協なんかせず正直素直に、
身分相応のちょっと難しいことと一生懸命に向きあおうと思っているんです。

そこには僕の場合、家族が思い浮かぶし、住む街、技を磨いたりお金を稼ぐときの価値観について連想して広がる。
自分の中の倫理観とか、最適な生活水準だとか、自分なりに解釈している自分が保つべき民度だったり。
仕事の質、仕事をする上で、顧客や仲間、友達と付き合っていく上で大切にすべき僕なりの優先順位やポリシー。
絶対に妥協せずに、自分が向きあうべき ”ちょっと難しいこと” に丁寧に向きあおうと思うんだ。


そして、人生にはいろいろな季節があることもこの30年間で最低限学んできた。
停滞する時期、何をやっても上手くいかない時期、積極的に進む収穫の時期、失敗から学ぶ時期、
慌ててとにかくもがいてみるべき時期、もがくのを辞めて受け入れることで学ぶ時期、丁寧に種を蒔く時期。

そんなこんなで、人は歩む。
これを読んでいる人も、自分で言葉に出来るかはわからないけどきっと同じだと思う。
そういうものを時々交換すると楽になったり、新しいアイディアや道が見えてきたりする。
僕は一緒に考えたい、ときどき話しましょう。


————————————————————————————————————-


生きる。 ちょっと難しいことと暮らす。

僕も自分なりに頑張ってみる。

SENAstyle. age30

Post a Comment

Your email is never published nor shared.

CAPTCHA