幸せも自己実現も、単なる「状態」なのではないか?

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最近気がついた。

幸せも自己実現も単なる「状態」なのではないか? と。

それはどういうことか?


簡単にいうと、幸せも自己実現も、” いつか ” 得るための長期的なゴール、目標、目的ではないということ。

今そこに幸せや自己実現があったとしても、努力を怠ったり、運が悪かったりすると失ったりするものであるということ。

自分なりに仮説をまとめるとそんな感じだ。


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まずは、幸せというのは、自分が幸せだと気がついた時にそこに存在するものであり、

必ずしもこれから向かう未来にある「目的」や「ゴール」ではないということだ。

最後に得られるものや、いつか得るために努力するものではなく、常に存在させられ得る「状態」のことを差すのだ。


そして、幸せというのは、努力や礼儀を怠ったり、運気や感度を鈍らせると簡単になくなってしまうものだということ。

存在している幸せは大切に育てること。 その人に必要だからと神様が与えた試練とは誠意を持って戦うこと。

その人が怠ったり、その人に対して必要なことであれば、幸せというのはすぐに逃げていく。


季節、天気、体調などのように、周期やバイオリズム、個人的には運命みたいなものも絡んでいるように思う。

人生山あり谷あり、楽あれば苦ありだけれど、「状態」としては、人間は自分や自分の大切な人が常に幸せな状態であることを理想とすべきだし、

少なくても、幸せだと思えるような時には、その感情を通過すべきではないと僕は思う。



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「自己実現」というのも、僕の中ではわりと同じように考えられるものだったりする。

自己実現について考える時、30代の生き方、40代の生き方、50代の生き方、60代の生き方、世代別、あるいは生涯を通じたビジョンや目標などを描くだろう。

つまり、自己実現というのは、長期的に見た「生涯を通じて達成するもの」だけではなくて、

例えば、今そこで思い切りチャレンジすることが出来ているというだけで、それはもうその時なりの十分な自己実現なのではないかと。

長期的な自己実現も当然睨んだ上で「30代なりにやっておきたいこと」みたいな特定の期間での自己実現もあると思うのだ。


そこから逆算をしていくと、日々毎日の生活の中に「自己実現」というものがあるわけで、

自己実現は「ゴール」ではなく「状態」なのだと捉えて、日々向き合っていくことが望ましいと僕は思う。

自己実現できていないとしたら、「それは仕方がないことなのか?」、「どうしたら改善できるのか?」と自分自身で向き合うことが大切なのではないかと思うのだ。


そして、20代から30代の時点では何とかやりたいように良い感じに過ごせていたとしても、

努力を怠ったり、計画性に乏しかったりすると、必ずその後にツケが回ってくる。

ここが難しくて、未来も、現在も、すごく大切で尊いということ。

つまり、人生には長期的な自己実現と短期的な自己実現が、うまくつじつまがあわない事なんかもあって、自分のなかで照らし合わせながら解決していく必要がある。

他人が決める正解なんかない。

ルールはシンプルで、生きている限り命を繋いでいく必要があるという事と、自己の実現について自分で責任を持って向き合っていく必要があるということ。

自由だから故に難しいけれど、逆に、自由なのだからこそ、何とか上手いことやっていきたいものである。



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この記事は、人生や世の中の原理原則についてすっごくモヤモヤとしているなかで、

すごく時間をかけて、何度も何度も書き直した記事だったりする。

それでも、自分でもまだ解釈しきれていなくて、上手く文章でまとめられない。

でもとりあえず、アウトプットしてみる。

きっといつか、困っている大切な誰かを救えるような価値のある経験になると思うから。


SENAstyle.

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